どのように本を読むか。大江健三郎『「新しい人」の方へ』から学ぶ

母は、公民館の本を全部読んだ、もうこの村には読む本はない、と私がいった時、私をそこに連れ戻して、本棚の一冊一冊を取り出しては、この本にはどういうことが書いてあったか、とたずねたのです。
そして、私がろくに答えられないのを見てとると、
ーーあなたは、忘れるために本を読むのか? といったのでした。それも、なんとも情けないことだ、という失望を露骨に表して……
それ以来、私は、一冊読むと、ノートかカードになにを読んだか書く、という習慣を作りました。

大江健三郎『「新しい人」の方へ』所収「もし若者が知っていたら! もし老人が行えたら!」より

「新しい人」の方へ

「新しい人」の方へ


近ごろ、本をたくさん読んだり早く読んだりすることに価値を感じなくなった。推理小説も謎とその解決という構造がわかってしまっているため(そうでない推理小説もあるけれど)楽しめなくなった。
そのかわりに、昔読んだ本を改めて読み直すことに深い喜びを感じるようになった。そして、読み返すことにより、自分が何も読めていなかったことがわかる。以前あんなに面白く読んでいた小説のディティールを、ほとんど憶えていないことに愕然とすることもしばしばだ。
いったい自分は何を読んでいたのか?

思うに、読書は能動的な行為ではあるが、意識的に読もうとしない限り、結局受動的な体験にしかならないのではないだろうか。
別にそれが悪いわけではない。
ただ、私はこれからはもう少しきちんと本を読んでみたい。大江健三郎の言葉を借りれば、それは「リリーディング(読み直す)」ということになるだろう。

その記録をこのブログに記していきたい。