映画『そこのみにて光輝く』感想

※ネタバレ感想です。

そこのみにて光輝く

そこのみにて光輝く

  • 発売日: 2015/02/14
  • メディア: Prime Video

まず拓児を演じる菅田将暉がとにかく素晴らしい。拓児のあのキャラクターが菅田将暉の素のままに感じられ、まったく演技をしているように見えない。自然すぎるほど自然で少しの違和感もない。
そこのみにて光輝く』の主演は綾野剛となっているが、この映画の主役は菅田将暉だろう。

菅田将暉演じる拓児の家庭環境は最悪だ。海辺のバラックで営まれる社会から見放された底辺の暮らし、先の見えない日雇労働、その不安に向き合わぬよう休日はパチンコ屋で時間をつぶす日々。普通なら神経が参ってしまうであろう過酷な環境。その中で拓児は努めて明るく振る舞い、人懐っこい性格を味方にたくましく生活している。甘ったるい自己憐憫は彼にはない。
ただ、彼には刑務所に入った過去があるのだから、なにかしら危険なものを抱えているのだろうとは想像できる。

綾野剛も無気力な無職の雰囲気を全身から醸し出していて、とても良かった。
しかし「役作りのために函館で毎晩飲み歩き、むくんだ顔のまま撮影に臨んでいた」と書かれていたが、どこがむくんでいるのかわからないくらい恰好良いし、無気力で無趣味な役なのに色気がものすごい。この揺るぎない魅力こそが綾野剛綾野剛たるゆえんなのだろう。

拓児と達夫がパチンコ屋でライターの貸し借りをして仲良くなる場面、自分も入院中に喫煙所でライターの貸し借りをして仲良くなった子がいたことを思い出した。嘘っぽくみえて、ああいう距離の縮み方って実際あるんだよな。

達夫が拓児の姉の千夏と出会う場面は、二人が一瞬交わす視線だけで「これは運命の恋だ」と納得させられる。稲妻に全身を打たれたような激しい恋。どんなに道が険しくとも先に突き進むしかない恋。それを視線に込めた想いだけで演じた綾野剛池脇千鶴には脱帽だ。

千夏の人生は過酷すぎるほど過酷で、思わず目を背けたくなる。この日本でこんな生活を送る人たちがいるのか?と疑いそうになるが、目に入らないだけで実は相当数いるのだろう。
新宿から排除されたホームレスがみな死んだわけではない。華やかなパリやマカオの繁華街のすぐ裏に貧民街があるように、東京のどこかにもそんな町がある。大阪にはあからさまに貧しい人たちがたむろしている。日本は決して豊かな国ではない。

拓児と千夏の父親は脳梗塞を患ってから寝たきりだ。世話は千夏の母親が行っている。父親は性欲だけが人並み以上にあるバケモノで、その性欲処理を母親のみならず千夏までが担っている。

父親の性欲処理を手伝わねばならないなんて、もう地獄としか言いようがない。なぜ千夏は逃げ出さないのだろう。家族を案じて逃げ出せないのか。見捨てられないのか?
自分なら逃げ出す。やってられない。心が死ぬ。ああ、そうか、千夏の心も死んでいたのかもな。千夏の母親も死んだ目をしていた。

だけど、なぜそんな性欲だけ旺盛なバケモノを生かしておく必要があるのか。千夏は達夫に言う。「性欲をなくす薬もあるんだって。でもそれを飲むと頭が早く老化しちゃうんだって」と。
性欲を二人の女性に処理させる存在でいるより、頭が老化して惚けた人間になるほうがまだマシではないか。どうせ体が動かないなら、惚けてもいいじゃない。性欲をなくす薬を投与しなよ。と私は思う。だが、千夏とその母親には彼女たちにしかわからない倫理がある。だから彼女たちは薬を投与しないし、達夫もそこには触れない。

拓児の起こした事件は必然だった。よくやった、と思った。
ただ、悲惨なことに不倫男は命を取りとめる。不倫相手の女に暴力をふるい、目下の輩に暴言を吐きながら家族を大切にしているふりをするクソ男なんか死んでしまえよ!なんで死なないんだよ……拓児が報われないだろ。そう私が思ったところで物語の進み行きが変わるわけもない。
拓児も達夫も淡々と事件を受け入れ、拓児は出頭する。出頭しなくていいのに、逃げればいいのに、という願いも届かない。

諦念。この物語に流れているのは徹底した諦念だ。諦めと悟り。救いなどない。

達夫と千夏の愛も永遠に続くとは思えない。拓児は逮捕されるだろう。父親はまだまだ死なない。不倫男も死なない。千夏はそれでも逃げない。達夫はその千夏を見捨てないだろうか?

そこのみにて光輝く」の「そこ」とは、二人の交わす視線、二人だけの部屋、二人だけの海、二人が繋いだ手。
そこに消えない光はあるのだろうか。そこには決して消えない光がある。