綾野剛主演『影裏』は100%の恋愛映画です。

注 : 細かい内容にも触れるため、これから観る予定の方、観るかもしれない方は読まないほうが賢明です。


さて、タイトルにも書いたが、映画『影裏』は100%の恋愛映画である。もちろんこのキャッチコピーは村上春樹が『ノルウェイの森』につけたキャッチコピーのもじりだ。

一応この映画は綾野剛松田龍平のW主演ということになってはいるが、視点はあくまで綾野剛演じる今野秋一にある。

今野は仕事で埼玉から盛岡に出向してきたのだが、仕事は単調で休日に遊ぶ友達もおらず、実家から持ってきた観葉植物を大切に育てるのが唯一の心の安らぎといった風だ。

そこに、松田龍平演じる日浅が現れる。日浅は飄々としたちゃらんぽらんな性格だが、何か惹かれるものがあったのか気の弱い今野に積極的に話しかけ、意気投合した二人はあっという間に友達になる。
その友情物語について特筆すべきことはない。

だが、二人が街に出て本屋に入ったり、ジャズ喫茶で笑い合ったり、ドライブに出かけたり、といった情景ひとつひとつが恋のきらめきと喜びに満ちている。そして綾野剛の表情すべてに、愛する人の傍にいることの幸せがにじみ出ている。それは見ているこちらが苦しくなるほどだった。

というのも、日浅は今野の想いなどつゆ知らず、普通の友達として接しているに過ぎないからだ。恋は今野の一方通行。今野がその想いを口にしてしまえば友情も無に帰してしまう。恋はそんな危うさの上に成り立っていた。

しかし、ある夜、決定的な出来事が起こる。今野が日浅に対する気持ちを抑えられなくなり、友達の領域から一歩踏み出してしまうのだ。このシーンの説得力はものすごい。恋の本質がこのシーンにはある。

ゲイでもバイでもない日浅は当然ながら今野を拒むのだが、怒って帰るわけではない。また、その後友情が壊れることもない。
二人はこれまでのように一緒に釣りに行き、キャンプをし、何事もなかったかのように語らう。

私にはそんな日浅が今野をもてあそんでいるように見えたし、他の件でも日浅は今野の好意につけこんでいるなと感じた。

でも、今野はそれでも良かったのだと思う。それでも幸せだったのだと思う。嫌われたり逃げられたりすることに比べれば、利用されるほうがいい。そう今野は考えていたのではないか。
あの書類に印を押したとき、今野は日浅の影の部分を受け容れたのだ。あのとき、恋は愛に変わったのだ。

日浅が姿を消してからの今野の焦燥と消耗はやるせない。そして日浅の影の部分は思った以上に濃かった。
だが、もう今野は動揺しない。どんなに影が濃くてもいい。帰ってきてくれればいい。それしか願わなかっただろう。

ラストについて、思うところはいろいろある。人は変わるものだし、変わらなければ生きていけない。ひとつの恋が終わり、新たな恋が始まる。それは普遍的な人間の有り様だ。

とはいえ、今野が日浅を忘れることはないだろう。日浅との日々は、ファウストが「時よ止まれ、おまえは美しい」と言い得たときのような、ニーチェが一度の恋で永劫回帰を肯定したときのような、そんな日々だったのだから。

そういう幸せな思い出さえあれば、人は生きていける。いや、そういう思い出があるからこそ生きていけなくなるのかもしれない。

今野は生きることを選んだ。